犀川 季代(2000年 ベリーズ)

ベリーズから戻ってきた。参加者はスタッフを含めて166人。そのうちの大多数はイギス人だった。他にはベリーズ人が10数名、ニュージーランド、オーストラリア、カナダから若干名、そして日本からは私1人の参加だった。もともと無謀なことを考える割には行動に移せない自分だったが、やっと、自分の夢をひとつ叶えることができた、という気分でこの国に入った。ダイビングに夢中だった私は、2年前から、その小さくて無名な国になにか私のもとめているものがたくさん詰まっているような気がして、行ってみたくてしょうがなかった.その土地の匂い、海の匂いををじかに嗅いでみたかった.

 長年ジャングルに覆われていたベリーズは、人口も少なく、人間がまだ手をつけていない豊かな自然や、昔栄えたマヤ文明の遺跡などが残っている。海は、世界第二位の大きなサンゴ礁を持っている。農業によって支えられ、穏やかな時間がいつもゆっくりと流れていた。人々の笑顔は、素晴らしく明るく、どこへいっても暖かい目で迎えてくれた。村では、馬や、豚や鶏が、人間と同じ道をのしのしとゆったり歩いている.海とジャングルに囲まれて育ったこの小さな国は、なぜか、とても懐かしい匂いがした.その自然に対しても感動したことを書けばきりがないのだが、前に進むことにする。

 サンアントニオという、ベリーズの一番南にある村で小学校を作るのが、最初のフェイズだった.

バスで9時間、道とは思えないほどのひどい悪道を走った.窓全開にしてあるため、ばっふんばっふんと巻き上げる砂煙を体いっぱいに浴びながらその村へ向かった。学校を建てる作業に入ると、村の子供達が、人なつっこく寄ってきてくれた。とてもみんなかわいかった。きれいな衣装を着た村の子供達が、私のためにトルティーヤという食べ物を焼いてジャングルまでこっそり持ってきてくれたりもした。いつも汗とセメントにまみれて、汚い姿でいたが、日本人だったせいか、村の子供達にはとても好かれ、毎朝作業に行く途中、キヨ!と走りよって来てくれたりして、その度に元気になれた。

 しかし、やはり、英語は厳しい。「夜のミーティング」では、理解することがやっとで、そのなかで起こっているケンカや、問題などにまで口を挟むことができなかった。やっと状況を飲み込んで、さあ、意見しようと思ったときにはもう話題が変わっていたり。決まった流れにそって行動するのがやっとだった。しかし、私はフェイズ1の間は、みんなの中で「always smile」の子だった。辛いー、って顔をしたら負けだと思った。かなり意気込んでベリーズに来ていたため、学校建設の作業がどんなに辛くても、村のベリーズ人や、イギリス人の前でだらだらとする姿は見せたくなかった.イギリス人たちが、「なんだって、お金払ってこんな辛いことしてるのかしらね?」 と話しているのを聞いて、がっかりしても「でも、こんなこと普通できない。新しい経験してるって、楽しいよ」と強がっていた。そうかもな、と思ってくれるのを期待しながら。デイリーダーを務めた日、ミーティングのときに、「キヨの笑顔にはつられるね.悪いムードがなくなる。」とみんなに拍手をもらったときは、今はこれが自分の精一杯だ、と思った。

 

 フェイズ2では、初日はカヌーで8時間かけてシップスターンという半島に渡り、そこで蛇の調査、ラグーンの調査、遺跡の調査を行った。あまりカヌーには自信がなかったのだが、いざカヌーの旅に出てみると、これはもう本当に素晴らしかった.転々と浮かぶマングローブで手を休めながら、ゆっくりと朝焼けの映る水面の上にボートを滑らせていった.手に豆ができても、景色の美しさに疲れなんて忘れてしまう。暑くなったら、水の中に飛び込んで体を冷やした.

 フェイズ1では、とにかくみんなの言葉を聞き漏らすまい、自分をアピールするんだ、と言うことに必死だったが、このフェイズで

は、あまり、対人関係に積極的にはならなかった。というのは、フェイズ2では、1のときの無理がたまって爆発したときがあったのだ。カヌーの練習中に、一緒に組んだ男の子に、「キヨとは組みたくないよ」と言われたときのこと。彼のスコットランド訛りの英語が理解できず、二人でボートごと水の中に転落してしまったのだ.これにはさすがにショックをうけ、返す言葉もなく、後で一人でおいおいと泣いてしまった。今思うと考え過ぎだったのだが、そのときは自分がベリーズにいるすべてにおいて否定されたような気がした。英語もわからず、カヌーもこげないで、体力もそんなにないのに、何で俺達と来たんだ?と。英語では、絶対にいじけた考えをもたない、と決めていたのに、さすがにこのときは自分の英語力のなさも恨んだ。しかし思い切り泣いたら、そのあとはとても心が楽になった。人のために来たんじゃない、自分のために来たんだからいいんだって。

 それからは、ありのままの自分でいてみようと思った。思ったことを言って、時には怠けた。がちんがちんの優等生じゃなくてもいいやー、と思ったら、すごく楽になった。食事作りがだんだんおもしろくなってきて、パンやドーナツなど、いろんなものを作った.楽しいときには笑ったが、つまらないときは、作業するとき以外、無理に輪の中に入ろうとはしなかった。「always smile」とは、もう言われなくなった。

 



 そんな風にフェイズ2を終え、いよいよ待ちに待ったダイビングサイトに移ることになった。私が行った島は、タバコ島というところだった.波のない、青い海に囲まれたその島は、ココナツの木がたくさん生え、上から容赦なくココナツを落としてくる.「こんなきれいなところで、一ヶ月間ダイビングできるんだー。」と思うと、天国にいるようだった。そこでの生活は、本当に私にとってはずっとあこがれていた形のダイビング生活でだった。日本では、ダイビングするにしても、危険だ危険だと、いろいろな規制にがんじがらめになって、「業者に頼んで、潜らせていただいている.」という感覚が拭い切れず、苛立っていた。だから、ここでは自分達の力でダイビングをできるというのが、うれしかった.自分達でタンクに空気を入れ、ボートを運転し、潜水計画を立て、もぐり、反省をする。もっともしたかった、「ダイバーとしての自立」ができたのだ.

 ここでは、私は一番のダイビング経験者と言うこともあって、ダイビング中は、リーダーとして扱われた。みな、スタッフに従い、サンゴの調査と並行しながら、自分のレベルアップ講習をうけたのだが、私の講習は、その「ダイブリーダーシップ」というものだったのだ。最初は緊張したが、すぐに「これは照れている場合ではない」、と思った。みんな本当にダイビングに関しては知識が浅かったのだ。自分達で計画を立て、海では自己責任を持って行動する、というのは私のあこがれていたダイビングスタイルだったが、さすがに初心者がいきなりこういう形でダイビングするのは危険だと思い、気づいたことはできるかぎりその場でみんなに伝えた。スタッフにアドバイスを受けながら、その人に適したウエイトの重さ、呼吸のコツ、セッティングの仕方など、自分が少しでも知ってることはみんなと共有するようにした。潜水計画よりも深く潜ったり、時間をオーバーして帰ってきた人には、それがどんなに危険なことか、わかってくれるまで話した.

 一本一本のダイビングをそうやって、周りに気を配りながら一生懸命やっているうちに、いつのまにか、それまでの自分と大きく変わっている自分に気がついた。周りがよく見えるのだ。人から見られる自分を意識していたときは、逆に本当の周りの状況なんて、把握する余裕がなかったことに気がついた。「みんなについていく」、でも、「周りから孤立する」のでもなく、初めて、「自分の目で周りを見る」という感覚を覚えた。そのことに気がついてからは、とても積極的になっていった。休み時間には、誘われるのを待つのではなく、自分からバレーボールだの遠泳だのしよう、と声をかけた。ええい、やっちゃえ!と、開き直った提案にも、おもしろそう!とみんな乗ってきてくれた。また、みんなで一人の提案をどんどん「もっとチャレンジングに」と、大きくしていく過程が、すごく楽しかった。新しい発想のもとに作った夕飯では何度か失敗もしたけど・・・ここでの私は、本物の「always smile」人になれた。こういう「自分の目」をもつことに気づくきっかけを作ってくれたスタッフには、今でも感謝している。

 こんなに気持ちよく毎日を送ることができたのは、まわりの仲間やスタッフに支えられて、「自分の場」を持てたからだと思う。なにをしていても楽しかった.潜るときは真剣だったが、それ意外では、思いきりはしゃいでいた。一番心に残ったのは、夜のミーティングで、最後のファンダイブ(作業ではないダイブ)で自分のバディを自分で決めていいとなったときに、みんなに「キヨと組みたい」と言ってもらえたことだ.うわあ、信頼されているんだな、と感動した。カヌーのときに悔しい思いをしていたので、このときは本当にうれしかった。このフェイズ3では、一番言葉の枠をこえられたと思う.海を通して、みんなの気持ちと私の気持ちが通じ合うことができたんだとおもっている。

 

 ローリーの経験をとおして知ることができるのは、あたりまえだと思っているものにたいしての価値観が、とても不完全なものであるということに気づくことだと思う。自分に対してもまわりにたいしても。

 「生きる」ために本当に必要なものって、なんなのか、毎日、新しい発見とともに考えさせられた。自然と人との繋がり、人と人との繋がり、、、本当は単純なことなのに、小さな枠の中で、それがうんと複雑に見えたりする。 3ヶ月という期間は、そのようなことを考えるのに私にとってベストな時間だったと思う。今までの常識にとらわれた生活から抜け出すことで、私は「心を開放する」「人を信じる」と言う言葉の本当の意味を知った。

 ベリーズでのエクスペディションは、自分で望みさえすれば、その冒険はどこまでも膨らませることができた。大事なのは、「やってみよう」と思うことだと思った。そしてその考えはそのまま今の自分へも続いている.

 最後に、こんな冒険は、一人ではできなかったと思います。両親の理解と、アーストレックのスタッフの協力のおかげで、勇気付けられ、出発することができました。そして向こうについてからは、同じことを夢見てきた仲間と励ましあい、感動を共有しあって、自分を発見しながら、その場所を何倍も楽しむことができました。協力してくださったすべての人々に感謝しています。

 こんなすごいチャンスを逃さなくてよかった。このプログラムに参加して、本当によかったと思う。